作り続けるということ。使い続けるということ。

2021.01.30

好きからはじまることに間違い無し

冬のある日。私は岩手県花巻市にある早池峰神楽の里にほど近い内川目地区にいました。町を流れる小又川の上流に向かって車を走らせていましたが、道は狭く、年末に降った大雪の影響で路面はでこぼこ。対向車、来ないでね、と呟きながらそろりそろりと走ります。

向かった先にあるのは、岩手県在住の磁器作家・高橋昌子さんの自宅兼工房です。

 

今回私がご紹介するのは、「クラフトマンスタジオ冬扇(とうせん)」という屋号のもと20年間ここ岩手で食器を中心とした磁器を作り続け、多くのリピーターを持つ女性作家さんです。

食器を作り続けているのは、彼女自身が美味しいものや、それらが並ぶ食卓の風景が好きだから。なんともシンプルで潔い理由なんです。

 

冬扇

屋号の「冬扇」は、建築を勉強されていた大阪の大学時代に足しげく通った喫茶店「夏爐(かろ)」に由来すると言います。夏爐冬扇とは、時期外れで用を足さないことで、中国の古い思想書にその語源を持ちます。屋号を「冬の扇」にするとは思い切った発想ですが、その媚びない作風や人柄と出会うとなんだか妙に納得できる、そんな方だと思います。

見晴らしの良い少し小高い場所に目的だったその場所はあり、築150年近くになるという建物は大きな大きな屋根がかかっていて、到着したその瞬間から時間の流れが急に速度を緩めた感覚がありました。

そして、その日は窯が置かれている土間と光が気持ち良く差し込む作陶スペースを案内頂きました。

 

食器がつないだご縁

私が昌子さんに惹かれたのは、先ほども紹介したように作品のほとんどが食器であったこと。

食べる事への飽くなき探究心は、食材のみならず、それを何に盛りつけるかで食卓の様相も変わってくると思っています。お気に入りや、大切な誰かとの思い出の器、時間をかけて丁寧に作られたお皿に盛られた時、食材達もなんだか嬉しそうで、良い表情をしてくれます。

食欲を満たす行為とはまた少し違う、ちょっと儀式の様な食事の仕方ですが、作ってくれた人たちの顔を思い浮かべながら取る食事は間違いなく豊かな時間であり、小さなコミュニティーで暮らす私達だからできる最高の贅沢かもしれません。

今回の訪問で分かったことですが、器を作る昌子さん本人も、料理が盛られることで初めて作った器が完成する感じているとか。なるほど、なるほど。その思いはもの話さぬ器から使い手へしっかりと伝わっていた様です。

冬扇さんの器は、雪が降る前の冬の空に似た色で、少々ほの暗く、透明感があります。

器に入っている模様は自然界から作者本人が得たモチーフを取り込んだもので、山の稜線や石のカーブ、雪や雲の陰影など岩手の自然との対話が、そこにはあります。

その日はヨモギの香りがプンとする草餅が皿に鎮座しておりました。今は雪に閉ざされた岩手ですが、春にヨモギの若芽を摘む姿を想像し、待ち遠しい気持ちになりました。

 

背中を押した阪神・淡路大震災

昌子さんの出身はうどんが有名な四国・香川県。

たまにお母様に頼んで、うどんの生麺を送ってもらうのだとか。さすがうどん県です。学生時代から十数年という長きに渡り大阪で過ごし、磁器と出会い、師匠についたのも大阪時代とのこと。

岩手に辿りつき、ここで窯を構えた所以は、昌子さんの旅好きにありました。大阪時代はバイクや列車で良く旅に出たといいます。中でも北海道や北東北はお気に入りの場所でした。

しかしながら、焼き物を生業にしていこうと決心するきっかけとなったのは1995年に発生した阪神・淡路大震災です。

震度7の揺れは5万人超の死者・負傷者を出し、住まいやライフライン、道路・鉄道などに甚大な被害をもたらしました。この震災をきっかけに今後の生き方に対し「思い切る時に思い切らなければ、いつ何が起きて自分の人生が終わるかもわからない。自分でできる努力は何でもしよう」と思う様になったとか。

当時はどこか対岸の火事を見る様な感覚があった若き日の私でしたが、10年前の東日本大震災を経験したことで、少なからず生き方に変化が生じた皆さんの心情を理解しようとし心を寄せることが出来る様になりました。

地震や天候による被害が年々後をたたない昨今ですが、そのことで背中を押されたり、新たな歩みを始めるきっかけになることは、小さな光であると思いました。

 

 

磁器

ところで皆さん、「磁器」をお使いになったことはありますか?
「土もの」と呼ばれる陶器に対して、「石もの」と呼ばれる磁器。
高温で焼かれガラスに近い風合いです。

陶器に比べ強度が高く、水がしみ込まない食材の色の沈着等の心配もなく、電子レンジの使用も大丈夫。
原料は「磁土」を使い、成形には土を板状にして作る「たたら」、100%指の力を使って少しづつ形づくる「てびねり」、比較的均一で滑らかな「電動ろくろ」を使う3パターンがあり、昌子さんは作る物によって使い分けている数少ない作り手なのです。

昌子さんは通常時であれば北は北海道から南は神戸、古巣の大阪も含め年間約12回の展示を開催・出品しています。
ですからほぼ月に1度のペース。前回の持ち越し分も含むとはいえ、1回の展示会につき250〜300点もの制作を目標にしています。

「選ぶ楽しさ」「新鮮さ」を何度足を運んでも実感できる準備を毎回されている訳です。

 

作り続けるということ。使い続けるということ。

最後に、昌子さんは個人で製作を続ける面白さについて、年齢やその時々の状況で作品が変化していくこと、と締めくくりました。
加齢によって、体力や食べる物の好み・量もかわりますしね。見える風景が同じでも感じ方や取り入れ方が変わることもあるでしょう。
一人の作家が生涯をとおして今の自分を投影した作品を作り続け、使っている私達ととも時を経ていくのは、なんだか愛おしい文通を日々重ねている様。盛りつける料理によって、同じ器でも違う輝きを放つでしょう。

沢山のものは要らない暮らし。
大切なのは、好きなものとじっくり向き合い、気付き続けること。
岩手の美味しいものと自然を好む私が自然に手にとってしまう器。それが当然の事であったと、今回あらためて気づくことができました。

器も、割烹着も、その人の使い方や暮らしの様子がしみ込みます。そんな物が美しい。
もっと自由に感じるままに、今の自分にあった使い方で共に時を重ねて行くこと。それが、時として作り手の想像を超える作品を生み出す瞬間なのかもしれません。

 

 

冬扇HP
http://tousen.gxh.jp/