はじめに−この土地と、精神のこと−
岩手県は、自然豊かな山々に囲まれ、昔から自然を大切に自然とともに生きてきた暮らしが根付く場所です。
祭りや郷土芸能も盛んな地域で、その数は日本一と言われており、暮らしの中に祭りや芸能があることが、あたりまえのような土地です。
郷土芸能は自然への感謝や命への供養を意味するものが多く、それほど山への信仰や繋がりを大切にしてきた地域と言えます。
そんな岩手には「鹿踊り(シシオドリ)」という郷土芸能があります。
鹿踊りは、人が鹿の姿となり狩猟した鹿の命に感謝して弔う踊りであり、また、人が亡くなった時に鹿が人の命を供養するという踊りでもあります。
獣の命を人が頂き生きること、そして人もまた土に還り、そこから草木が芽吹き鹿がそれを食べ大きくなる。
鹿踊りは、踊りという根源的な方法で万物の平等さや自然の循環を今に伝えていると、私たちは考えます。
獣と人との間を踊り、両者の痛みと喜びの「間に生きる」ことの大切さを雄弁に伝えてくれている、大事な芸能がこの土地にはあります。
『山ノ頂』に至る、きっかけ
今、山と里の距離感や関係性が難しい局面に来ています。
岩手県では、鹿や猪といった山の獣たちによる農作物被害が深刻で、被害額は年間4億円以上にもなっており、その半数以上が鹿による被害です。(令和2年度、岩手県農林水産部調べ)
農家さんは、せっかく育てた野菜が獣たちに食べられてしまい生活が困窮し、農業をやめてしまう人も出ています。
林業でも、山林の若い苗木が鹿に食べられてしまい、深刻な問題となっているのです。
かつて神の遣いなどと呼ばれ重宝されていた鹿は、いつしか害獣と呼ばれるようになり駆除の対象となりました。
鹿は、頭数が増えすぎたため山に食べ物が無く、食糧を求めて里に降りてきています。
当たり前ですが、悪さをしようと思って農作物を食べているわけではなく、生きるために必死なだけなのです。
一方、農家さんにも自らの生活があり、生活の糧となる農作物を食べられてしまうと本当に困ってしまいます。
目の前で自分たちのお金を鹿が食べていたら、誰でも黙って見つめているわけにはいかないでしょう。
農家さんもまた生きるために、致し方なく駆除をしているだけなのです。
鹿には鹿の正しさがあり、人には人の正しさがあります。
駆除に対して様々な意見があるのも事実ですが、そうしなければならない、どうしようもない局面に来てしまっているのです。
外側から見ている人たちからは「鹿の命を奪うなんて可哀想だ」という声もあります。
内側で被害にあっている人たちからは「悪さをする鹿なんていなくなれば良い」という声もあります。
しかし、鹿と人の、互いの痛みを見ないままのそんな一方的な考えは、本当に正しいのでしょうか?
かつての先人たちも、鹿に対する可愛らしさや愛着を感じていながらも、生きる糧として命を奪うという矛盾や葛藤を丸ごと抱えていたからこそ、本当の『命への感謝』と『頂きます』があったのではないかと感じています。
このプロジェクトは、抜本的に害獣被害の問題を解決することができるプロジェクトではありません。
しかし、岩手が大切にしてきた「間で生きる」という見えざる精神性が少しでも伝わることが、かつてのような人と獣の良い関係性が未来に繋がって行く出発点だと信じ、私たちの『山ノ頂』は歩み出しました。