光原社さんで取り扱い始まりました。

2020.07.27

光原社さんは宮沢賢治ゆかりの地として、あるいは民藝店の草分けとして全国から数多くのファンが訪れるお店です。
そのような名店で何とen・nichiのお取り扱いが始まりました。
en・nichiの道具たちが、ついに光原社さんの素晴らしい商品の仲間入りです。
光原社さんの歴史や光原社さんでのen・nichiの道具たちの様子のものがたり。
それでは、はじまりはじまり。

ものがたりの始まりは、出版社から

光原社さんの『歴史のものがたり』は、小さな小さな出版社から始まります。
大正13年(1924)に宮沢賢治の生前唯一の童話集『注文の多い料理店』を発刊し世に送り出したのが創業者の及川四郎氏です。
賢治と及川四郎氏が盛岡高等農林学校で先輩と後輩の仲で、『光原社』の店名も賢治によって名づけられました。
二人の夢を乗せ、お金をなんとか工面して作り上げたこの童話集は残念ながらほとんど売れず、事業としては失敗に終わりました。
しかし晩年四郎氏がこの事業と宮沢賢治を振り返る時には充分な満足感に浸っており、賢治への敬愛の気持ちはいつまでも変わることはありませんでした。
この窮地に次に四郎氏が目を向けたのは、農業書の販売の際に手土産にしていた南部鉄瓶です。南部鉄瓶の名工:高橋萬治を顧問に迎え、南部鉄瓶の製造販売を本格的にスタートさせたことをきっかけに、民藝の道へと歩みを進めていきました。

 

巨匠たちが愛し集う場所

及川四郎氏は工藝の道を進む中で、民藝運動の提唱者:柳宗悦と出会い親交を深めていきます。
1937年には、東北地方の民藝調査や講演会に来るたびに柳宗悦が光原社をたびたび訪れ、何泊も宿泊したそうです。
陶芸家の濱田庄司河井寛次郎、染色家の芹沢銈介、版画家の棟方志功など、多くの巨匠たちが集う場所になっていきました。
四郎氏の作品の本質を見抜く目と高い人間性が人を引きつけ、巨匠たちと心の交流を重ねていきました。
1965年には柳宗悦の指導の下、全国の民藝の品を扱う店として生まれ変わり、東北のみならず全国の民藝店を牽引する存在となっていきます。

 

憧れのお店

そんな光原社さんは工藝の道を志す人にとっては、憧れの的。
岩手県で暮らしの道具を作っているen・nichiにとっても憧れの存在です。
en・nichiの立ち上げの時からずっと『光原社さんでも扱っていただけるような本質的な商品を作っていこう』と目標に掲げていました。
いわゆる強い片想いの相手です。
何度も何度もサンプルを作っては直し、作っては直しを繰り返し、細かいところまで拘って作ったen・nichiの道具達。
いよいよ憧れの光原社さんへ、ご提案させて頂く機会をもらいました。
それはそれは憧れの存在の光原社さん。
ずっとずっと恋い焦がれていた相手に、いよいよ私たちの商品をお見せする時、熟考した商品に自信はありましたが心臓はバクバクでした。
緊張で商品説明は何をお話したのかはよく覚えていませんが、ちょうど中学生が好きな相手にバレンタインチョコを渡すように『あなたが好きです。あなたのために一生懸命に作りました!』と思いの丈をブツけた記憶があります。
商品見本をお渡しし、取り扱いについては後日ご連絡を頂くことなりました。


数日後、ご連絡を頂き、KAPPOGI、SAPPAKAMA、OTEFUKIの光原社さんでの取り扱いが決まりました。
ずっと目標にしていた光原社さんでの取り扱いが叶い、飛び上がるほど嬉しくen・nichiの仲間達と感動を共にしました。
光原社さんの本質を見る目に止まり、一生懸命に育ててきたen・nichiの道具達が素晴らしすぎる商品の仲間入りできることが本当に幸せです。
光原社さんとやっと両想いになれた瞬間でした。

素晴らしい民藝品と店頭に並ぶSAPPAKAMAとKAPPOGI

OTEFUKIも堂々と仲間入り。

 

光原社さんのことを根掘り葉掘り

光原社で長年商品仕入れから販売までを担当されている佐藤さんに、光原社のことやen・nichi道具たちのことについてお話をお伺いしました。


光原社さんには、どんなお客様がいらっしゃいますか?

光原社のお客様は本物を求める方がとても多いです。
愛着を持って、良いものを永く大切に使いたいと想う方がご遠方からも直接お越しいただき、実際にご自身の目で見て触れて本当に欲しい商品をお買い求めくださいます。
光原社では漆の職人も抱えておりますので、私共でお求め頂いた漆器に限り、特別にお直しを承ることもございます。
例えば、おばあちゃんが使っていた道具を引き継いで大切に使いたいからと、お孫さんからお直しのご依頼を頂いたりした場合、
商品によっては新しいものをお求めいただいた方がお安く済む場合が殆どですが、想い出の詰まった道具を永く愛着を持って使いたいとの声にお応えしてお直しをお引き受けしたこともございます。
親子三代でご利用いただいているお客様が多いのも光原社ならではかなと思います。良いものは世代を問わず愛されていきますね。
ご遠方のお客様でも、昔からご贔屓にしてくださるお客様が沢山いらっしゃいます。

中庭のりんごの木。秋には紅葉し沢山のりんごの実を付けます。

 

インターネットなどで商品が簡単に買える便利な世の中ですが、私たちは昔からもこれからも人と人との繋がりをとても大切にしていきたいと思っています。
お客様との距離がとても近い分、お客様お一人お一人とのものがたりがあり、お客様から教えていただくことも沢山あります。

東日本大震災の時にもお客様から大切なことを教えていただきました。
沿岸にお住まいのお客様も被災し、家具や道具が津波で流されました。
お客様はその後仮設住宅に入り、敷物などは段ボールを代用したり、有り合わせの食器などで凌ぐ生活を送っていらっしゃいました。
愛着のある家具や道具は、家族のようなもの。津波で大切な道具たちを失ったことは、とても辛いことです。
昔から使っている愛着のあるコーヒーカップや座布団や生活の道具たちを傍に置き、日常を取り戻したいと多くのお客様が御来店くださいました。
私たちの扱っている商品は、定番品も多く抱えております。
『光原社に来ると変わらないものがここにある』『変わらない本質的な価値をいつも届けてくれる安心感がある』とお客様に教えていただき、私たちがお客様にお届けしている商品の奥にある物に気づかせていただきました。
時代の移ろいは激しさを増していますが、本質的に価値のあるものはそれほど沢山あるわけではないと思います。
いつの時代でも愛される本物の価値を、この場所で、これからも大切な方々に届けていきたいと思います。

メキシコのグラスでコーヒーを頂きながら、お話をお伺いしました。

en・nichiの道具たちの様子はいかがですか?

こんな素晴らしい商品をよくぞ私共のところに届けてくださいました!
お陰様で入荷と同時に、お客様から大好評をいただいております。
en・nichiの商品は、お客様に絶対喜んで頂ける商品なので、自信を持ってお客様にオススメできます。
私自身が良いものを教えたがりなもので(笑)
お客様には品質を納得してお買い求めいただきたいので、必ずご試着いただいておりますが、実際にご試着されたお客様は10人いらしたら10人ご購入下さいます。
SAPPAKAMAは立体裁断で体に添うように作られていて、綺麗に気持ちよく履けるデザインが魅力です。
女性の方はチュニックにSAPPAKAMAを合わせるととても素敵なので、コーディネートなどもご提案させていただくことも。
普段スパッツを履かれている方も多いですが、しゃがんだ時に楽なものを探していたと喜ばれております。
『自転車に乗るのも楽なのよねー』と、沢山のお客様からお喜びの声をいただきとても嬉しいです。
子供用SAPPAKAMAも、お孫さんの小学校の入学祝いのプレゼントに買われるお客様もいらっしゃいました。

特に人気なのがKAPPOGIですね。
こんな割烹着がまさに欲しかったとお客様の探していたものがここにあったという感じです。
シルエットも美しく、刺し子のループに手ぬぐいをかけることができるのも嬉しい工夫です。
2way仕様になっているで、ちょっとしたお出かけの時にはサッと反対側に羽織ることができるのも素敵ですね。
それでいて永久修繕。
永く使って欲しいという気持ちがサービスに現れていて本当に素晴らしいです。
このお値段で永久修繕をご提供してらっしゃるのは、まさに企業努力の賜物ですね。
永くお使い頂くことで、愛着も沸きますし経年変化によって商品の違った景色が楽しめるのも、また素晴らしい価値だなと思います。
ご購入いただくお客様は20代から80代までと幅広いです。
世代を越えて愛される商品だと感じております。

 

光原社の情報

盛岡の材木町に本店を構え、現在は盛岡市に2店舗、仙台市に2店舗と営業しております。
店舗の奥に進むと、喧騒を忘れる静かな空間が広ががります。
1972年に開業した喫茶『可否館』では、ゆったりとした時間の中で民芸品に触れながらコーヒーを味わうことができます。
夏には新緑、秋には紅葉も楽しめ、巨匠たちが愛した場所で民藝品を楽しみながらゆったりとした時間をお過ごしいただける贅沢な場所です。

 

文責:<en・nichi>庄子

 

光原社

岩手県盛岡市材木町2-18

 TEL 019-622-2894  10時~18時 ※10時~17時30分(1/5~2月末迄) 15日(土曜・日曜・祝日の場合は翌日)休

ホームページはこちら
http://morioka-kogensya.sakura.ne.jp/index.htm

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