こんにちは。
12月も残りあとわずか。一関では雪も降り、冬本番に向けて日に日に寒さが増しています。
そんな年の瀬に、en・nichiの新しい商品が出来上がりました。
夏頃から企画を始めて、ああでもないこうでもないと、試行錯誤を重ねながらやっと完成させることができたアイテムです。
それがこちら。
名前は「YAMA SHIRT(山シャツ)」と付けました。
リリースは来年1月の予定ですが、やっと出来上がったYAMA SHIRTの制作過程のあれこれを、今回から2回に渡り書いていきたいと思います。ぜひお付き合いください。
YAMA SHIRT 製作 <その1>
「新しい商品作りたいね。」と話始めた8月。
どんなものがあったらいいかと、みんなの作りたいものを提案しあったり、東北の地に昔からあった服の形をリサーチしたりしながら商品企画を進めていました。
SAPPAKAMAに合うシャツがあったらいいなあなんて思っていた頃、東北で昔着られていた衣服の中に「山シャツ」と呼ばれるシャツがあることを知ります。
山シャツってなんだろう?初めて聞いたけれどなんだかそそられるそのシャツのことを、まず知ることから始めることにしました。
色々調べてみると、どうやら山シャツというのは、むかし野良や山仕事をするときに着ていた仕事着のシャツのことをいうようでした。
暮らしに必要なものは自分たちで作るのが当たり前だった時代。山に入って木を切ったり、畑を耕したり、糸を紡いで布を織ったり、暮らしていくためには毎日たくさんのしごとがありました。土地のほとんどが山である東北の地では、山の中に入ってする仕事も多かったでしょう。
仕事着にはさまざまな形があって、山シャツもその暮らし方の中で生まれた衣服の一つでした。
山シャツはシンプルな詰襟の長袖シャツの形をしています。袖はカフスがついているものもありました。
詰襟やカフス付きの袖は今もよくあるシャツの形ですが、この形だと首回りや手首回りに隙間が少ないため、作業する時に木屑や土が服の中に入りにくく、体を守ることができるのだそうです。
布は自分たちで織った麻の布を使うことがほとんどでしたが、麻の布は目が粗く、夏は涼しいけれど冬の厳しい寒さにはつらかったので、寒さから身を守るための工夫がされました。
刺子をしたり、生地の端切れをつぎはぐように重ねたり。そうすることで暖かくなったし、生地の補強にもなっていました。
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「”en・nichi”の山シャツを作りたい。」
昔着られていた山シャツは、当時の暮らし方に寄り添った衣服でした。
いま、私たちがシャツを作るのだったらどういうものがいいだろう。
現代の暮らしの中で、毎日山に入って作業をするという暮らしをしている人はそれほど多くないでしょう。体を守るために服を着ているという感覚は、今の暮らしの中ではなかなかないかもしれません。
でも昔も今も変わらないこと、そしてen・nichiが大事にしていきたいことは、「服を大事に長く着ていきたい」という考え方。
東北の人々が昔、生地をつぎはぎしたボロとも言われる服を長く大切にしていたのは、ひとえに貧しかったからだけではありません。長年着た服には愛着があり、継ぎ足す生地の一枚一枚には願いを込めて、親から子へと引き継がれていくものでした。
en・nichiで作る服も、長く愛着を持って着られるものでありたい。
流行に左右されず、一生かけてお気に入りにしていきたくなるようなそんな1着。
山シャツや昔の服にある工夫は、体を守るためだけでなく、服を補強し長く着るための工夫でもありました。
そんな工夫を私たちなりに取り入れて、一生着ることができるような丈夫な服を、en・nichiの山シャツを作ろうと、山シャツ作りがスタートしたのでした。
つづく。